jerremyのブログ

ーービートルズ大好き人間ーー60年代、70年代ロックの事、落語や漫画の事などをつれづれなるままに

ビートルズにはまったきっかけは?

19日の「ディスカバービートルズ」面白かったですね~。
DJの二人がそれぞれビートルズにはまったきっかけを話していました。

和田唱はマイケルジャクソンの大ファンで、ライブの最後の曲「ComeTogether]がかっこよかったのでオリジナルを聴きたかったのが初めてのビートルズ体験だったそうで。
そのイントロを再現して「シュッブクダドゥーンドーン」っていうのが面白くって笑っちゃいました。

杉真理の方は女の子達が涙を流してキャーっと叫ぶという現象が不思議で、これはどういうことだろうと聴いてみたのがなんと、雑誌の付録の偽物ビートルズのHard days nightだったという。
本物を初めて聴いた時のイントロのガ~~ン!がそのままビートルズ初体験の衝撃のガ~~ン!!だったとか。

人によりさまざまで面白いですね。
私はこの前のつるひめさんの所でコメントに書いたようにBeatles For Sale が最初の心をつかまれたアルバムです。
上に兄弟が居たので、それまでにも聴いてはいたんですが、ある日突然脳天に雷が落ちたようにビートルズに恋してしまったんですね。
小学5年生なので、たぶんそこから私の思春期が始まったのだと思います。
それまではまだ受容器が育っていなかったんでしょう。
杉真理も小学5年生の時にビートルズに出会い衝撃を受けたそうで、アルバムも近いので同年代でしょうか?


HATENA仲間のみなさんの初ビートルズはどうだったんでしょう?前にも聞いたと思いますがまた語ってほしいです。

リトルリチャード亡くなったんですね

「ロングトールサリー」もこの人の曲だったんだ。
ジョンのCD「ロックンロール」にも何曲かカバーがあったと思います。
どの曲も楽しくて踊り出したくなります。
ビートルズの4人はこういう曲をラジオにかじりついて聴いていたんですね。
ちょうど私達がビートルズの曲をラジオにかじりついて聴いてたみたいに。

この記事にビートルズと一緒の写真がありました。
ロックの「創造者」リトル・リチャード逝去。ビートルズら後進から崇拝された「オリジナルのすごさ」とは?
news.yahoo.co.jp

「世界で一番ジミー・ペイジになろうとした男」MR.JIMMYの桜井さん

ちょっとしたきっかけがあって、「世界で一番ジミー・ペイジになろうとした男」ジミー桜井 | 田坂圭 | 著
 を読んだ。

これは2018年に発行されているので、本の紹介はきっとsmokyさんの「かぶとむし日記」にあるだろうと思い、検索してみたらやっぱり、2019-05-28 エル・ファニング主演の『ガルヴェストン』を見る(5月25日)の中にありました。
なので私のはただの感想文です。

ZEPPELINのことを検索している時にたまたま見つけて、ちょっと興味をひかれたのであまり期待しないで読んでみたら、おもしろくて途中でやめられなくなりました。

私もsmokyさんと同じくこの本を読むまではナメていたと言っていいでしょう。
トリビュートバンドというもの自体、私はものまねバンドくらいの認識しかありませんでした。
クロコダイルにMR.JIMMYを見に行ったのも、生バンドの音でZEPPELINの曲が聴けたらいいな、という程度の気持ち。
ところがところが、その演奏技術のすばらしさはもちろん、ふと本物のジミーが目の前で動いているような不思議な気持ちになって目をパチクリしてしまいましたよ。

ただ、もともとあまりライブに行くという習慣も無く、私の耳には狭い空間でのあの爆音は大きすぎて苦しく、一度しか行っていません。
その頃知った事は、トリビュートバンドにも大変なマニアックファンがいて、毎回来てる人、追っかけも居ること。
あれなら確かにそういう魅力を感じるでしょうと納得したのでした。

その魅力がどこから来るのかというのが、この本を読んでよくわかりました。
高校生の頃からあれだけの実力がありながら、いわゆる「プロ」にはならなかった理由。
ただひたすらに自分の心の本気で望む事のみを追求してきた結果がトリビュートバンドだったわけで。

何度も有名なプロバンドに誘われても「これは自分がやりたいこととは違う」というので加わらずに就職しながら自分のバンドを作り。
さらにその活動そのものが世の中に知られて、アメリカの有名なトリビュートバンドに参加してツアーをやりながら、それでも納得してしまう事が無い。

普通の人なら別の仕事を持ちながらバンドをやっていて、それが認められてアメリカに進出できて食べて行かれるようになったら、有頂天ですよね。
「ああこれで夢がかなったな~」と、少々好みに合わないことがあっても無難にこなして続けていくだろうと思いますが。

桜井さんはそうじゃない。新入りなのになんとアメリカでかなりなキャリアを築いているトリビュートバンドのあり方を、自分流に変えていこうとする。
現状にあぐらを掻くこと無く、どこまでも自分の理想を追求して行くんですね。

その熱意のすごさ!!
ZEPPELINというバンドに対する愛!そのジミーペイジに対するリスペクトの深さ!
もう圧倒されます。

それでこそジミー本人を感動させ、「初心に返れたよ」と言ってもらえたんでしょう。
ニアミスからジミーにに会うまでのワクワクドキドキも、この本のハイライトですね。

私は楽器をやらないので、読んでもあまりわからなくて飛ばし読みしてしまいましたが、機材についてもかなり詳しく説明されているので、これからトリビュートをめざす方には勉強になると思いました。

もうひとつ、LedZeppelinの伝説の再結成ライブでのドラマー、ジェイソン・ボナムのバンドにも桜井さん参加してたんですね。そのエピソードで書かれているジェイソンはすごくいいヤツ。
彼のこの性格があったから、気難しい老人3人の潤滑油になって、あの夢の一夜が実現したんだなと思いました。そうでなければリハーサルの段階できっと決裂してたと思います。
MR.JIMMYのサイトを見てきたら、ジェイソンもCOVID19のせいでツアー延期したらしい。
イギリスも死者の数がものすごいですから、ジミーペイジ、ロバート、ジョンポールジョーンズ、みんな高齢者なので心配。
でも彼らは広大な敷地の奥に居れば感染者と会う心配も無いでしょうか。

やっと見てきました!映画「イエスタデイ」

暮れも押し詰まってからちょっと東京に用事があったので、無理矢理時間を作って「イエスタデイ」見てきました。
31日は忙しくてブログ更新できなかったので去年の事になってしまいましたが。

おもしろかったし、ビートルズの曲を聴いていれば幸せな人間にはそれだけで「星4つ」
主人公の俳優さんはほんと歌がうまいですね。それにあのなんともいえずダサい、容貌に魅力が無く自信が持てない感じ、ぴったりでした。
曲を思い出すシーンは笑っちゃいましたが、私の方がスラスラと出てくるので、スタッフになって手伝ってあげたいわ、などと思いながら見てました。
なにしろ小学校5年生の時にほとんどの曲を一生懸命書き写しながら覚えたので(まだコピーなんてありません)今でもだいたい口をついて出てきますね。

楽しさについてはハテナ仲間のお3方が充分語ってくださっているのでほとんど付け加える事はありませんが、私は気になった部分について書くことにします。

一つは発表する曲の時系列がでたらめなのがちょっと。
だって、曲というのは作者の成長にしたがって変わって行くものでしょう?
初期の曲は割と単純なラブソングが多く、アレンジも粗削りでパワフル。
そこからだんだん成長し、いろいろ機材の使い方も覚え、経験を積んだから作れる老成した曲があり。
解散直前の頃にはビートルズの歩いた道を振り返るような気持ちがあってこそのTwo of usやThe long and widing roadだし
悩みが深くなってLet it beができた、という時間の流れがあるわけですよ。
それを無視していきなり初期の曲にまじって後期の曲が出てきたりするので、その辺がすごく違和感があって、気になりました。

それと、まあ曲を思い出せるのは彼だけなので曲作りに関してはいいんですが、なぜバンドを組まないんだ。
それにファッション。一人だけ前に立って派手な色のスーツっていうのはあまりにもビートルズ的じゃなさ過ぎる。あれじゃプリンスだろ~?と思いました。

それからもう一つ、個人的な不満としてはポールの曲ばかり多すぎる(笑)。
Yesterdayに始まってHey Judeだって、Let it beだってポールの一人で作った曲でしょ?
初期の曲でもI saw her standing thereだったしね。監督はポールファンなのかな?
でもまあ年取ったジョンを登場させたので許すとするか。

あの場面はやはりジーンと来ました。生きていれば78歳なのね・・・涙腺崩壊はしませんが(笑)。
ほんとにジョンがそのまま年取ったような人でびっくりでした。
ジョンはもっとアクが強くイヤミなじいさんだったかな?いや、それともすっかりそういう部分が抜けて穏やかな老人になっていたかな?

映画の終わりのクレジットの時に本物のHey Judeが聴けたのはうれしかった。
やっぱり偽物の歌う曲ばかりではなんとなく欲求不満がありましたものね。

ちょっと付け足し編集:
多分映画館で見ることはもうできないと思いますが、船乗りジョンにもう一度会いたくて、なんだか切なくなりました。
DVDになるのを待つことにします。

12月8日

このところ何年か、12月というと親のことでバタバタしていてこの日を思い出すことが少なかったように思います。
私にとってはジョン・レノンの命日でしかないのだけど、12月8日ってググってみたら「太平洋戦争開戦記念日」なんだそうですね。
さすがに終戦記念日は知ってましたが、この日は知らなかった自分の無知を反省しました。

それはそうと、この日になると悲しい気持ちになったのがずいぶん遠い日になりました。
しのぶイベントもどこかでは行われているんでしょうか。
あまり情報も集めていないので知らずに過ごしています。
昼間中は忙しくて、今になってからビートルズ10のタイムフリーを聴いています。

私はどの曲を選ぶかな・・と思いながら聴いていたらAcross the Univers を放送していました。
あ~今日はこの曲が一番心に沁みます。

解散前後のジョン

前回の続きをもう少し語らせて下さい。

映画 ”Let it Be” の頃の私はまだ高校1年生。
あの年齢の女の子から見るとオノ・ヨーコはものすごいオバサンでした。(今考えると37歳なんて若い)
髪の毛もじゃもじゃだし、可愛くないし、魔女みたいだと・・・。
せっかくビートルズ見に来ているのにジョンにぴったり貼りついて、邪魔でイヤでした。
当時の多くのビートルズファンの正直な感情だったと思います。
なぜあんな人をジョンは好きになったのか、到底理解できずにただ腹をたてていました。

今でも、ジョンを私物化して、CDにもDVDにも出ずっぱりで前面に出てくるヨーコにはあまり良い印象は持っていませんが、
なぜジョンが惹かれたのか~~という事は一定の理解ができたという状態です。
それは前回の記事に書きました。
それともう少し、個人的な感想ですがこんな風に考えてみました。

ジョンは常識を破っていく存在のように思われているけど、
若いころは割と古くさい「男はこうあるべき」的なマッチョ思想にとらわれていたと思うんです。
その時代の男としてはあたりまえだったでしょう。
あの世代はまだまだ、男は涙を見せたり女に甘えたりするのはものすごくかっこ悪いと思われていました。
イギリスでもきっと同じですよ。
若いころに恋愛したシンシアの前ではカッコつけてたと思うんです。

ジョンは幼少期に親に充分甘えさせてもらえなかったから心の奥底では「甘えられる存在」を渇望していたんじゃないかな。
異常に嫉妬深いところがあったのも、見捨てられ不安の表れかとも思えるし。

ジョンはヨーコに出会ったことで、そういう奥底にある葛藤を解放することができたのではないでしょうか?
プライマリースクリームもその一つでしょう。
『ジョンの魂』の曲はどれも、ビートルズでいる時に発表した曲とは全く違う、心情吐露と言える曲ばかりです。
一皮むけたような感じですね。

曲としてはビートルズの初期の曲が一番好きですが、イマジン以降の心の琴線に触れるような優しい曲も大好きです。
そういうふうに変化していくジョンをずっと見ていたかったです。
リンゴの歌うgrow old along with me 胸に染みますね~。

リンゴ・スターのニュー・アルバム『ホワッツ・マイ・ネイム』から「Glow Old With Me」が公開されました!によせて

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>smokyさんの「かぶとむし日記」のレスの中に
メイ・パンとシンシアの名前が出てきたので、久しぶりに語ってみたくなりました。

一昨年くらいだったか「ビートルズから始まる」という小林克也のラジオ番組を聴いていました。
デビューからのいろいろ裏話も聞けるし、同時代の音楽などが出てきて楽しい番組でした。
そして番組が進み、ビートルズ解散前後のヨーコの存在が語られ、シンシアの手記(聞き書きでしょうか)を紹介する特集がしばらく続きました。

私は常々、シンシアに対するジョンの態度だけは許せないと思っていて、シンシアの留守の間にヨーコが家に泊まっていて、旅行から帰ったシンシアと鉢合わせするくだりでは辛すぎて聴いていられないくらいでした。

シンシアの立場から見ると、ヨーコは得体の知れない悪魔のごとき女性だったでしょうね。

でもあの時期のジョンは音楽的にも行き詰まっているような感じだったし、ビートルズのバンドとしても限界に来ていて、いろいろともがいていたんだと思います。
それなのにシンシアの手記から感じるのは、彼女は子供達やいとこ達(友人?)と楽しむことばかり考えていて、そこにジョンを参加させようという気持ちしか無くて、まるでわかっていない。

離れていくジョン、それに対する感じ方も行動も、あまりにも平凡な嫉妬するただの主婦。
かわいそうになるほどで、あれではヨーコにたちうちできるわけがない。


ヨーコはジョンのファンとしてはイヤだったんですが、冷静に見てみると芸術家としては評価できます。
若い頃、まだまだ戦後の感情をひきずっている人も多い時期のアメリカで、東洋人、敵国の日本人、さらに女性として蔑視されながらの中でパフォーマンスをしていたのはすごいです。
たいした人です。

ヨーコのそういう強いキャラクター、すごさにジョンが惹かれて行ったのも今ではわかる気がします。
でも芸術家同士はぶつかるんですよね。いっしょに暮らすのは苦痛が多かったんじゃないかな。

メイ・パンの存在は知っていましたがあまり詳しくは知りません。
シンシアやジュリアンにとって付き合いやすかったということは、きっとヨーコよりも普通の人の気持ちがわかる人だったのでしょうね。