jerremyのブログ

ーービートルズ大好き人間ーー60年代、70年代ロックの事、落語や漫画の事などをつれづれなるままに

アフガニスタンーペシャワール会の報告ー

アフガニスタンがまた混沌とした状態になって、日々ニュースに上がっていました。
自衛隊が行っても、日本人の避難にはあまり貢献できなかったとやら何とやら。
それを聞くにつけ、そういえばペシャワール会の人たちはどうしているだろうと気になりまして、会のサイトを見てみました。
中村医師が亡くなってからもずっとペシャワール会の活動は続いていて、定期的に活動報告も上がっていました。
日本人スタッフはだいぶ引き上げて現地スタッフが支えていると、ずっと前に読んだように思います。

アフガニスタンの現状とPMSの今ー という最新情報がアップされていました(PMS=ピースジャパンメディカルサービス)
http://www.peshawar-pms.com/topics/20210825.html

それによると
ーー急な変化で一時、無政府状態となりましたのでPMSと打ち合わせて、8月15日より医療・農業・用水路事業の休止を決定しました。
多くのPMS職員はそれぞれの自宅に家族と留まり注意深く推移を見ていました。その後は現地スタッフ全員の安全が確認され、周辺での治安上の問題はありませんでした。
カブールもジャララバードも静かで、8月21日ごろにはバザールが日常化してきました。一般的な治安は保たれ、政変が起きる際に繰り返して見られた略奪や混乱はありませんでした。ーー


とのことで、会の人たちは無事に診療を続けているらしいので少しほっとしました。
西側諸国ではタリバンというと絶対悪のような扱いですが、前のタリバン政権下でも中村さんたちはおおむね大事にされていたようでした。


この報告の最後の方に、
ーー20年ぶりのタリバン政権ですが、中村哲先生がこれまでそうされていたように、
「水が善人・悪人を区別しないように、誰とでも協力し、世界がどうなろうと、他所に逃れようのない人々が人間らしく生きられるよう、ここで力を尽くします。
内外で暗い争いが頻発する今でこそ、この灯りを絶やしてはならぬと思います。」の言葉を胸に現地の事業を続けてまいります。ーー

という事が書いてあり、深い意味のある言葉に胸を打たれました。
各国政府が国益の名の下に自分勝手な争いを作り出し、ワアワアと騒ぐだけで人々を苦しめるばかりなのと、正反対の事をこの人達は黙々と続けているのだな、と。



補足:
コメントありがとうございました。私も最近何年かの事はあまり知らないのです。
私が熱心にペシャワール会の活動を見ていたのは例の9.11のテロの後、ブッシュのアメリカがアフガニスタンに爆撃を始めた頃でした。
タリバンはもちろんむちゃくちゃな事をやっていて、歴史的な建造物、あの洞窟の仏像を爆破したり、女性には勉強も仕事もさせないとかひどかったですが。
だからと言って、アメリカみたいに自分の正義だけを押しつけて、あの長いこと宗教に支配された部族社会を思い通りに変える事など無理な話です。
中村医師も「彼らの意識は江戸時代くらいの感じだと思った方が良い」と言ってました。

そんなことのある前から、ペシャワール会アフガニスタンでずっと人々を助けていて、部族の長老にも尊敬され、タリバンでも手を出せないというか、むしろ協力的だったと言います。
それがアメリカがぐちゃぐちゃにしてしまって・・・。

中村医師がテレビに出るようになったのはやはりアフガニスタンの事が注目されたからだったのでしょうね。
人々に水を供給するために井戸を掘り、川から水を引く計画の資金集めの必要から取材も積極的に受けていたのでしょう。
中村さんはいわゆる立派な感じの人じゃなくて、何かはにかんだような、インタビュアーが美談にしようとするのをはぐらかすような態度で、面白い人でした。

でもその言葉のひとつひとつが心に響いてくる本物の言葉で、ペシャワール会は信用できる、とその時思いました。
その後大河から運河を引いて、荒れ地だけだった所を耕作地に変えて行ったのです。そのあたりまでは時々寄附もしていたし、把握していたのですが、しだいに忘れていました。

だから一昨年の襲撃で亡くなったニュースはほんとにショックでした。

陽だまりの樹ーー続き

他の場面では主人公の侍万次郎が他の侍に陽だまりの樹の事を語っています。

陽だまりの樹はぬくぬくと300年の太平の夢をむさぼって
一見頑丈そうに見えるが 実は倒壊寸前まで腐り果てているんだ・・・・と」

「あの地震のひと揺れ目に、二抱えもあるあの樹がボッキリ折れたそうですよ、いとも簡単に・・・・・」

地震・・・・というのはまさに外国の侵略の手にあたりますね 清国のように!」

「だのに今の政府は 派閥とか 賄賂とか あるいは無能 無策という 白アリどもでくい荒らされてるわけです」

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なんだか今の状態に似ていますね。清国にあたるのは左側の巨大な人口の国かな?

この時は陽だまりの樹である江戸幕府が倒れて明治維新が起き、新しい政権ができました。
明治は戦争の時代で、良い時代ではなかったけれど、列強に飲み込まれずに済むにはそうするしかなかったのかもしれません。

それでもその中で、侍である万次郎は維新の真っ只中で自分の信念に従って戦い、医者である手塚治虫の先祖良仙は医者として旧態依然の漢方医達の権威と戦い。
その頃の女の人達は、選挙権も無ければ意見を言うこともなかなか許されない中で、家族を守り、あるいは愛する人のために必死で生き抜いた。

どんな時代でもみんな置かれた立場で精一杯自分にできる戦いをしていたんだな~と思います。
私達全員が陽だまりの樹のような状態でぬくぬくとしていてはいられないのだろうな、と。

今の日本は「陽だまりの樹(き)」だろうか?

手塚治虫の晩年の作品に「陽だまりの樹(き)」というマンガがある。手塚治虫本人の曽祖父・良仙の一家から見た幕末期の日本の姿を描いている。良仙は(府中藩松平播磨守の侍医であった。

私は説明が下手なのでwikiの解説を引用すると

ーー幕末期の日本を舞台に、当時の開国、西洋文明と西洋人の流入からやがて続く倒幕、そして戊辰戦争という時代の流れの上で、対照的だが友情で結ばれた男の人生を綿密に構成されたストーリーで描いているーーとある

題名の「陽だまりの樹」は、幕府の内部は慣習に囚われた門閥で占められて腐敗している事から主人公の侍だったかその先生だったかが「江戸幕府は外から見ればりっぱな大木に見えても、シロアリ等々の虫によって中身が腐って今にも倒れかけている陽だまりの樹だ・・・」と嘆くのだ。



昨今のオリンピックのグダグダぶりや、コロナの対応の無能ぶり、政府高官の国民をバカにした対応ぶりなどを見ていると、どうしてもこの「陽だまりの樹」という言葉を思い出してしまう。

この日本、戦後復興して世界第三位の経済大国になり、外から見るとインフラも整っているし町も綺麗だし、豊かに見えるけれど。
今はぬくぬくと陽だまりに安穏としている大木・・・中身は腐って穴だらけのスカスカなのではないか?今にもメリメリと音をたてて倒れてしまうのではないか?
などと心配になってしまう。



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陽だまりの樹|マンガ|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL

俺たちに必要なのは仕事じゃない。生きる目的だろう?

ーーサブタイトルーーStrawberryFields Forever

アメリカンドラマの登場人物のふとした言葉に妙にズキンと来た。

生きる目的、生きる意味、10代の頃は必死でそれを探し求めていたな、そういえば。
15ー16才くらいの時に大人の意識を持ち始めてから、毎日のように真剣に考えていた。

クラスメートは子供っぽくてお話にならなかったし、周りの大人達に訊いてもまあ当たり前の答えしか返ってこない。
年の離れた兄はもう社会人になっていて、真面目に仕事に通っていた。
「毎日仕事に行っていて面白いか?」と訊くと
「仕事というものは面白いからやるってもんじゃないんだよ」と憮然として答えた。

人類の発展に貢献するためだという人、お金を儲けるのが目的という人も居るだろう。

意味が見いだせない中、朝起きるのも辛かったし、毎日退屈な授業にでるのもイヤだったし、社会に出れば、どうも仕事というものは大概つまらなそうだと思った。
ただ生きているというためだけに毎日イヤなことを我慢しなければいけないなら生きていたくないな、とまで思い詰めていた。
「生きているのに意味ってあるの?」と母に訊いたら「そんなこと考えるもんじゃありません」と叱られた。


大概の大人は生きる糧を得るためにただ働き、それが無ければ考える時間さえ作れないのだが。
当時はそれがわからないので学校に行くことがばかばかしく感じたり、周りのすべての大人を軽蔑したりした。
今では思い出せないが、例えようもない虚しさを感じていた。「この世に意味なんて無い」と思って。

特別な理由なしに若者が自殺すると、「若いのになぜ?」と大人達は言うが、私にはわからないでもない。
若いからこそ死ぬんだよ。真剣に生きる意味を考えすぎて答えを見いだせなくて絶望するから。
年取ったら感性が鈍くなるのでそういう悩みが心を突き刺す事は無くなるんだよ。

やがて私は絵を描くようになり、描いている時だけはその虚しさから解放されるので、仕事が絵を描くことならいいなと思うようになった。

そうこうしているうちに自分も目先の事を決めてこなしていかないとならない時期に突入して行ったわけで。
つまり大人になって、哲学する余裕も無くなってしまって、日々に追われて過ごすようになった。
その中には楽しみもあり、人とのつながりの中でいろいろな意味を見いだすようになり、それでいいのかもしれないと思うが。

時々はた、と考える。今の私にとって生きる目的は、意味は?と。

そういう時に心の中にきこえてくる歌が

Living is easy with eyes close,
misunderstanding all you see~~
it's getting hard tobe someone
But it all works out
It doesn’t matter much to me
~~

”Strawberry Fields forever” 一番好きな曲の中の一つです

<補足>
実際には:仕事が絵を描くことならいいなと思うようになった。
~のではなくて
絵を描いていられる間は生きていてもいいなと思うようになったのです。できなくなったらその時生き続けるかどうか決めようと。
まあその頃は親のすねをかじっていた身分なのでそれができたし(しかたなく学校にも行っていたし。勉強はどちらかといえばできる方でした)
大学は紆余曲折あって省きますが、就職というのはしないでアルバイトで短期間会社勤めをした時期、それから結婚してあれこれやりながら今に至るまで
なんとかかんとか絵を描く時間は確保できてますのでまだ生きてます(笑)

しばらくお休み

暮れの仕事など、遅れ遅れになってて間に合わなくなりそうなので、はてなブログはしばらくお休みします。
HATENA仲間のみなさんのブログも見に行ってもコメント付けられない事がほとんどになってしまいますがご容赦ください。

ファンなのかな?でも違う?エリッククラプトン

エリッククラプトン
すごく好きな曲が多いアーティストです。でもファンなのかと言われると違うんじゃないかな?
というよりこの程度の好きさかげんでファンと言ったら悪いかなという感じ。


元々はビートルズの次の世代が出てきた頃の”Blind faith”のアルバム『スーパー・ジャイアンツ』がものすごく好きだったんです。これが唯一のアルバムなのだそうですね。
ほぼ全曲大好きで、次にどの曲のイントロが出るか頭に入っているほどです。
でもそのメンバーが誰かというのも知らなかった。そのアルバムでクラプトンのファンになったわけではなかったんです。
Creamの曲はかっこいいとは思いますが、それほど心に残っていないし。


その後の曲でも”I shot the sheriff” 好きな曲だったけどクラプトンのだって知らなかった。
だいたいにおいて、有名曲しか知らないというのがファンの資格はないですよね。


でも”Lay down Sally”も”Let it rain”も好きだし、”Layla”はもちろん大好き。
”Chabge the world"とか”Tears in Heaven"(アコースティックの方)なんかは聴いていると涙が出るほど好きだし。
若い頃の声はあんまり好きじゃなかったけどこの頃の渋さの加わった声はいいですよねえ。

ライブのDVDをレンタルして視聴したりもしてるんですが。
若い頃のライブをYouTubeで見て楽しんだりもしてます。が。動くクラプトンを見て感動した覚えが無い(ゴメン(^_^;)
常にかっこいいとは思うんですけどね。特に中年以降の方が。



こういうのはなんなのでしょうね?

家族と愛人と

あ、これは実生活の事ではないのでどうぞご心配なく。
以前smokyさんに「ビートルズは家族のようなもの、レッドツェッペリンは愛人のようなもの」という話をしていたのです。

家族は常にそばに居て、空気のようになってしまい、ともするとその存在を忘れて新しい愛人に夢中になってしまう。
私にとってレッドツェッペリンはそういうバンドです。

ビートルズの解散は大変なショックでしたが、その頃から洋楽の世界では新しいムーブメントが起こってきて、クラプトン、レッドツェッペリン、キングクリムゾン、ピンク・フロイド、ドアーズ、ジミヘンetc
それはそれでワクワクするような、新しい時代が来たんだな~という楽しみがありました。

でもどれかひとつのバンド、アーティストに夢中になる事はなく、レッドツェッペリンも私が大学生の時に来日しましたが、まだたくさんある次世代の音楽のひとつでしかなかったんです。
来日の様子もTVで見たかどうかも覚えていないくらい。グランドファンク(だったっけ?)はシンセサイザーを使っていて珍しかったので覚えてますが。

さらに、その頃は他に関心事がいろいろあって、受験だの、家事の分担も多くなってくるし、大学に入れば実際の恋愛事情やらなんやらあるし。
洋楽はそれほど自分の世界の中心的な関心事ではなくなっていました。

そして結婚してしばらく経ってからある日、音の良いオーディオセットを持っていなかったのでヘッドホンで聴いていたZEPⅡ。
Whole Lotta Love   What Is and What Should Never Be   Lemon Song  この3曲を聴いているうちに「むむむ・・・これは・・・」という感じでぐぐっと捕まれてしまいました。
ヘッドホンの大音量で聴くまで良さがわからなかったのかもしれません(笑)
それでもまだ夢中というほどではなく、持っていなかったお気に入りのZEPⅢ ZEPⅣ 聖なる館のCDを買ってきてひたすらヘッドホンで聴いてました。

それがビートルズをいっとき忘れるほど夢中になったのは2003年に発売された2枚組ライブDVDを見てから。
実はそれまで動ツェッペリンを見たことがなかったんですね。
あまりの衝撃にあの長い長いDVDを夜見始めて朝までかかって全部見てしまいました。
それから2-3ヶ月は毎日見てました。
さすがに毎日全部いっぺんには見られないので、今日はアルバートホールのライブ、今日はマジソンスクウェアガーデン、と言う風に。

やはり動く映像を見る、というのは音で聴くだけよりもその衝撃度は深い物がありますね。
だからのんちさんがHard days nightを見てからよりいっそうビートルズに深入りした、というのはわかります。

それから何年かはほんとにビートルズをあまり聴きたいと思わなかったの。
それまで知らなかったZEPPELIN関係のいろいろな情報。解散してからのメンバーの事などインターネットで記事を探しては読み。
オフィシャルのものが少ないのでライブ映像をネットで探し回ったり、ブートDVDを買いに行ったり。

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それから月日は流れ、仕事のためにホームページやブログを作る必要があって、Yahooのサイトでsmokyさんのメーリングリストに出会ったわけです。
その時夢から覚めたように、ビートルズが自分にとってどれだけ大事なものだったかを思い出したという。
どんなに愛人に心を奪われた日々があっても、帰って行くのはやっぱり家族の元へ、という事なのです。

私にとってビートルズは聴いているのがひたすら気持ちよくて幸せ、いわばモーツァルトのようなものです。
レッドツェッペリンはなんだろうな~、快感ではあるんだけどちょっと「うう~痛いんだけどきもちいい~」というような魅力、魔力と言った方がいいかも。
捕らわれたら最後、もう抜け出せないようなところもありますね。